インタビュー

ピュアDream 佐藤睦子さん(59才)

 「むっちゃん先生」をひとことでいうなら「愛と癒しのセラピスト」だと思う。

アロマ講師というひとつの肩書きでは表せない、どこまでも優しく、無償の愛を注ぐ人なのだ。

「小さい頃は身体が弱くて、入退院の繰り返し。学校も休みがちで本ばかり読んでいた」という幼少期を過ぎ、

「人をすぐ信じちゃうから、それなりに辛いこと、悔しいこともあったけど、そうは見えないみたいね」と

取材中も本当にケラケラとよく笑う。

「49才からアロマ1本にして、考え方が変わりました」というピュアDream代表、アロマ講師佐藤睦子さんに、その半生を聞いてみた。

 

 

_最初はアロマではなく、クラフト作家さんだったんですよね?

 

今でこそ、「クラフト作家」というんでしょうけど、私の頃は「手作りSHOP」でしたね。
もともと手芸が大好きで、石鳥谷にある手作りの店によく通っていたんです。

あんまり足繁く通っていたからでしょうか、石鳥谷にあったお店の作品を、あなたのお家でも置いてみないかと言われ、「それなら」と、自宅敷地にプレハブの「手作りSHOP」をスタートしたのが、35才でした。
息子が11才で、娘が4才の時。プレハブの小屋、広さは畳にして2畳でした。


商売なんてやったことはなかったんですけど、自分で手書きのチラシ作って、ポスティングして歩きました。
そのうち、石鳥谷にあったお店の作家さんたちの作品だけでは商品が足りなくなってきて、もうちょっと置く商品を増やさなきゃと、作家さん探しもしました。
その時代から、私が、手作りSHOPを閉めて、アロマの道に入っても、ずっとおつきあいしてくれる方もいて、かれこれ、20年以上と思うと、なんか感慨深いですね。
プレハブの店の名前ですか? 「手作りDream」です。

 

 

_手作りSHOPの経営は順調だったのでしょか?

 

 

まあいろいろとありましたけど、お陰様で、35才から48才までSHOPを13年間続けました。
常時、20名位の作家さんの商品を委託販売し、定価の2割を委託料として、頂いてました。
でも、たただ置いてるだけでは売れないので、
あちこちの公民館を借りて、展示会やイベントを開いていました。
今、なくなってしまいましたが、盛岡の月が丘にシティーダイエーがあって、その5階にあった大きなイベントホールを借りて、展示会をしたこともあります。

その他にも商品を車に積んで、あちこち行商して歩いてましたね。
2割しかもらってないのに、ガソリン代考えたら、馬鹿みたいなんですけど。
そんな素人経営ですから、安定経営とは言い難くて。
息子が東京の専門学校に入った頃が、家計的にやはり大変で、、、夜に近所のスーパーのパートに出たんです。

 

 

_え?身体の弱いむっちゃんが、昼、夜働いたんですか?

 

 そうなんです。もう人間、やらなきゃいけないと思うと、できるもんですよね。
昼のパートに出るという方法もあったんですけど、店を開けていないと、いつお客さんが来るかわからない。
そう思うと、夜しかないな
・・・と思って。
それまで、虚弱体質だと思ってましたけど、昼は、自宅SHOP、家族に夕飯用意して、7時から12時まで、スーパーのレジのパート。その生活を3年続けました。
スーパーのレジで待機中に、ついつい居眠りしちゃうこともあって、有名でしたよ。「寝てるおばさん」って。
警備のおじさんが起こしてくれるんです(笑) 目をあけて一点を見たまま、寝てるんですって。あ、もちろん閉店間際の時間帯ですよ。(笑)

体力的にはきつい3年間でしたけど、子どもに仕送りしなきゃいけないって思ってましたからね。虚弱体質のはずなんですけど・・(笑)

今、アロマを通して、いろいろな方の相談を受けたときに、「働きたい。けど仕事がない」っていう方がいます。
仕事ないわけじゃないんです。
とにかく、2万で3万でも稼がないといけない、って思ったら、本気になって、仕事探すと思うんですよ。

やりがいとか、休みが、、、とか、理由をつけて働かないのは、「本気で働きたいわけじゃないんだな」と思います。
そこまで切羽つまってないというか。

 

 

 

_なるほど。で、手作りSHOPをやめて、アロマの道に入ったのはなぜですか?

 

そうですね・・・。(といって、しばらく口をつぐむ)
ひとことでいうと、手作りSHOP仲間の間で、不協和音が起きてしまったんです。

今、思えば、あんなに悩むことでなかったかな?と思えるんですけど、その時の私は本当にショックで。
眠れないし、食事もまともに取れないぐらい悩みました。
結局、その件があって、自宅SHOPを閉めることにしました。
そして、人間関係で悩んで、落ち込んでいた私を救ってくれたのが、今、久慈市にいる親友です。
その親友が、アロマを私に紹介してくれたんです。
で、アロマのセミナーのようなことを近くの公民館でやることになって、たしか10人ぐらい集めたのかな?
そのアロマの話を聞いてるうちに、「もっと学びたい」という気持ちが、どんどん大きくなりました。、

どうしても、養成講座を学びたくなってしまって、
でも、養成講座を受けるには、当時のお金で23万かかりました。
で、「分割でいいですか?」と聞いて、しかも主人にはナイショで。
今、思い出してみても、分割とはいえ、どうやってあのお金を捻出できたのか、不思議です。(笑)

 

 

_それで、49才の時に、アロマ講師として独立したわけですね?

 

はい。必死に勉強して、2008年JAAのアロマコーディネーターの資格を取って、日本ジニアスセンス協会のインストラクターにも合格しました。

その年に、アメ-バ-ブログもスタートしました。
今まで、「養成講座」を受講しにきてくれた方々は60名ほどになると思うのですが、そのほとんどが、私のブログから検索してくれました。
ブログを始めたのが早かったおかげで、「盛岡 アロマ講師」で検索すると、私のブログにたどりつくようです。
本当にいろいろなことのタイミングが良かったんだなと思います。

 

 

_アロマの他に影響を受けたのがコーチングだったとお聞きしました。

 

そうです。2015年に、才神敦子さんという方のコーチングを受けたんです。
その時に、才神さんに、「ありのままでいいじゃない?」と言われて、、、、、衝撃でした。

私は、今まで、素の自分よりも、よく見せよう、見せようと背伸びしてきたんだなと思いました。
とにかく、才神さんのコーチングが素晴らしくて、何かを我慢しなくていいんだと思えたこと。
そして、ありのままの私に自信持っていいんだと思えたんです。

実は、私の亡くなった母はかなり厳しい人でした。

「~してはいけません!」とかなり叱責されて、育ちました。
なので、自分をさらけ出したり、あれがしたい、これがしたいという前に我慢してしまうんですね。
「これをいったら怒られそう、じゃ、我慢しよう」と。


才神さんのコーチングを受けて、そういう過去の呪縛からもようやく自由になれた気がしたんです。
いろいろな経験を積んできて、今の私なんだと自信がもてたし、全てを肯定できたんです。
「ありのままでいいんだ」って。

 

 

_今日のお話で、むっちゃん先生が、なぜ人に優しいのか、わかったような気がします。

最後に「今後の目標」を教えてください。

 

 ひとつは、アロマです。
「アロマを通じて、たくさんの人を笑顔に出来るお手伝いをしたい」そう思っています。
もうひとつが「才能開花」なんです。
才神さんのコーチングは、私に自信を与えるだけでなく、眠っていた才能を開花させてくれました。
その時、思いました。「どんな人だって、自分のなかに眠れる才能がある、ただ多くの人たちはその才能に気づいていないだけなんじゃないか」って。


かつての私がそうだったように、人間関係で傷ついて、ちょっと自信を失っている人たちにも
「大丈夫だよ、あなたはあなたのままで素晴らしい才能の持ち主ですよ」と伝えたいんです。

今年から、日本ジニアスセンス協会の指導部にもなりました。
「ジニアス=素質 センス=引出す、磨きをかける」 という意味です。
アロマを通して、眠っている才能を開花するお手伝い、、、それこそが私のやりたいことなんだとようやく気がつきました。 「大丈夫だよ」といってあげたい。・・・って、今後の夢が「大丈夫だよといってあげたい」って意味、通じますか?
すみません。睦子語のオンパレードで。(笑)

 

 

 

___ピュアDream

 

ブログ:https://ameblo.jp/dreamnait/

ネットSHOP: http://puredreamaroma.com/

のびあの「女子100人委員会」にも連載中「オットが定年になりまして」

https://www.jyosi100.com/couple-iwate/

 

 

___日本ジニアスセンス協会
今年から、本部を、ピュアDream内に設けることになりました。

HP: http://genius.blue/

 

 

 

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(すべての講座が、10%オフで参加できるわけではないので、上記のブログでご確認ください)